賀茂神社
神社概要top

神社概要

御祭神

賀茂別雷命
賀茂玉依姫命
大国主命(大巳貴命)
伊賀古夜比売命
神武天皇
武甕槌神・経津主神
鵜草葺不合命
八幡大神(應神天皇・神功皇后)
稲荷大神
金勢大明神
猿田彦大神

神主

当社は717年(養老元年)京都賀茂両宮の御神霊を奉斎して賀茂下上大明神と尊称。1300年の年月の間に、社殿の修復等種々の困難な出来事に関わっていましたが現在は、皆様方のご協力のもと社殿も社地も存在し多数の崇敬のお力添えにより、全国に認知された、お社としてよみがえっております。
今は遠祖賀茂氏(陰陽師 安倍晴明の師匠)より伝えられし秘伝書による三百種以上の守礼、京都賀茂御祖神社より御分霊を頂いた干支守護社を中心に大願成就の神、導きの神、電気電波の神、交通安全、航空安全の神、縁結びの神、安産の神、金運、開運、商売繁盛の神、医療の神、子宝の神、夫婦円満の神、厄除けの神、武道の神として崇敬されています。
信仰厚き方が増加し、日本国繁栄と国民の平安を願った、大願成就の社として心はよみがえりつつあります。
賀茂神社に訪れて日頃の疲れを癒し明日への鋭気を養って下さい。

 宮司:廣部 重紀

恋


霊ライン

日本全国に霊ラインと呼ばれる場所が多数あります。
表日本は千葉県鹿島神宮と福岡県宗像大社を結んだラインにて、その線上に皇居、富士山、伊勢神宮、大麻比古神社、宇佐神宮、宗像大社が、裏日本は出雲大社、白山、立山ラインです。北陸の霊ラインとして阿波の国一の宮大麻比古神社を基点に、京都を通って北陸から東北地方に向かうラインです。
当社は裏日本霊ラインと北陸霊ラインのクロス上に鎮座しており、そのパワーが非常に強く、森羅万象「氣」の集まる聖地で他のパワースポットより一段上の神社として崇敬されております。


勅使河原 宏様との関係

勅使河原宏先生が小曽原に草月陶房を作られた時、ご縁あって当社にその完成祝いと火入れの儀の神事を斎行依頼があり宮司が斎行させて頂きました。 その時は神社にて陶房のお火を浄火持参して火入れの式を実施しました、厳粛に実施したので非常に喜んで頂きました。 その後そのご縁によりまして勅使河原宏先生より「夢」の色紙を頂き、大事に神社に保管し社務所完成時にご披露いたしました。

勅使河原様刻印

賀茂神社社殿等変遷歴史(令和二年までに判明) 一覧

本殿

一向一揆(一五七三年~一五九一年)にて社殿被災(朝倉始末記小出本)
一六六九年(寛文九年)脇社(祇園社)再建(清水町史)
元禄年間(一六八八~一七〇四)社殿被災(清水町史)
一六九七年(元禄十年)大鳥居再建(鳥居額装具)
一七五八年(宝暦八年)脇社(白山社)再建(清水町史)
一七六六年(明和三年)四月十八日本殿火災(清水町史)
一七八三年(天明三年)拝殿再建(清水町史)
一七九二年(寛政三年六月)稲荷神社再建(棟板)
一八〇四年(文化元年)本殿上棟(本殿屋根二葉葵紋)
一八一七年(文化十四年)本殿再建(本殿屋根二葉葵紋)
一八七六年(明治九年)帯鋤小学校として使用時拝殿焼失(清水町史)
一八九一年(明治二四年)大鳥居瓦に葺替(鳥居瓦)
一九一七年(大正六年)拝殿再建(清水町史)
一九四二年(昭和十七年)大鳥居修理(鳥居脇柱)
一九五三年(昭和二八年)本殿銅板葺替
一九六五年(昭和四〇年)幣殿新築・社務所現在地移動
一九六七年(昭和四二年)ご鎮座千二百五十年大祭斎行
二〇〇三年(平成十五年)神門・幣殿・拝殿屋根葺替
二〇〇六年(平成十八年)拝殿耐震化・社務所新築・ご鎮座千二百九十年大祭斎行
二〇〇八年(平成二〇年)干支守護社・手水舎・風雪防建物新築・境内バリアフリー化・第一参道拡幅舗装
二〇一一年(平成二三年)御神緑霊廟(納骨堂)新設
二〇一二年(平成二四年)第二参道(バス車道)駐車場百台分新設
二〇一七年(平成二九年)本殿屋根葺替・両脇社屋根葺替及び修復・社殿洗浄・境内排水工事
二〇二〇年(令和二年(平成三二年))大鳥居解体修復
二〇二二年(令和四年)千三百年奉祝大祭斎行

鳥居

鳥居

両部式鳥居で、本柱間6.75m・高さ8.1m、本柱・袖柱間2.64mもの大きさを誇る朱塗りの大鳥居です。(福井県認定)
また賀茂下上大明神と書かれた扁額も高さ2m・幅1.2mという大きなものです。

本鳥居は江戸時代の元禄10年建立されました。扁額の揮毫が福井藩の儒学者伊藤坦庵の筆によるとのことです。(福井県指定有形文化財)

夫婦和合の神ゆえ、しめ縄二本が抱き合っています。